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​院長生立ち

【当院概要】
院長の自己紹介
はじめまして ツボユキ院長の坪井行央と申します。
2022年9月で開業して5年を迎えました。
今整骨院を探している方、既に来られている方に向けて私の事やツボユキではどんな施術をしているか発信する為にホームページを作っています。

私は1980年生の三児の父です、スタンダードプードルのシシィ♀と看護師の妻との5人+🐩で生活しています。

 

出身は兵庫県西宮市です。結婚を機に此花区に引っ越してきました。

小学生の頃は落ち着きのない常に動いてるような子供でした。

ちょうどファミコンが爆発的に売れていた時代だったと思います。


少年野球をしていましたが当時の監督、コーチはとにかく厳しくて鬼に見えていました。とにかく怖くて練習日の日曜日が雨で中止になると嬉しかった思い出があります。

中学生時代はバスケ部に入りました。ちょうどバルセロナオリンピックでマイケルジョーダン率いるUSAドリームチーム、少年ジャンプ スラムダンク連載とバスケットボールが僕の中でとても盛り上がっていた時期のように感じています。


少年野球をやっていた子供達が「坊主が嫌やわ」という理由で野球部に入らずJリーグで熱かったサッカーやバスケに多く入部していました。
 

中学2年生頃からスケートボードと出会います。これは私にとって大きな影響を与えました。


個人競技は生まれて初めてでしたが自由なスタイルがぴったりハマり夜な夜な練習する日々がはじまります。
基本的にどこでもできるので一時期は朝早く起きて学校行くまでの時間もスケートボードに乗っていました。

今でこそ東京オリンピックの正式種目になり、日本人が金メダルと世界的なスポーツになりましたが当時はあまり良いイメージは無かったように思います。夜遅くまで集まってなんかやってる、ゴミや騒音問題。なんとなく柄が悪いなど。


当時はスケートボードしていて怪我をし、病院に行くと「そんなんしてるからや!」と何故か怒られました。遊んで怪我して知るか!みたいな感じでした。だからケガしたらだいたいバスケしていてグネりましたとか適当に言っていました。

今でもスケートボードに乗って愛犬の散歩をしています。見かけたら是非気軽に声をかけてください。

高校に入学します、高校は野球の名門[神港学園]に入学しました。
野球部でもないのに坊主頭にハマっていて体格も大きいのでどこにいても野球部員と間違えられていました。


一年生の時は二、三年の野球部の方に「あいつは挨拶でけへんのか!?」と因縁をつけられたり、食堂では一年生は先輩に列を譲る文化があった様ですが関係ないので知らんふりしていると至近距離でメンチをくらいしばかれそうになりました。


誤解が解けた頃には私は二年生になりましたが坊主頭にまだハマったままだった為新入部員に野球部と間違えられ遠くからでも大声で挨拶されるという毎日を過ごします。

25年以上前ですが当時は野球と言えば神港学園というくらい強く部員も多かったですね。また強くなって欲しいです!今は監督を私の同期がされてるそうです。頑張って欲しいです。


久しぶりに検索したら男女共学になっていました。時代ですね😀
 

高校生の頃に生まれて初めてサーフィンを経験しました。

ツボユキサーフィン③1-1.jpg

育った土地柄波のある海を見た事がありませんでしたが同級生のお父様がとてもファンキーな方でスケボーをしている事を知っていてくださり「今からサーフィン覚えたら絶対上手なる!」と車でよく連れて行ってくださいました。

はじめは何もできないし何が楽しいか分からないままのサーフィンでしたが開放的な雰囲気にとてもハマりました。
今でもサーフィンを続けています。
下手の横好き横乗り大好きです。

ツボユキサーフィン④1-1.jpg

高校卒業間近になり担任の先生に進路について厳しい取り調べを受ける日々が続きました。


スケボーとアルバイトと遊びやサーフィンの事しか考えていなかったので高校3年間が体感5秒くらいで終わってしまいました。


「おまえ!どうすんねん!」と厳しい追及から逃げるように私は苦し紛れに「自衛隊に行きます」と謎の進路を伝えましたところ
「それならがんばれよ!」と許してもらえました。

ただ、何の決意も無い18歳が自衛隊に入っても続く訳ありません。

私はわざと試験に落ちようと筆記試験をまともに回答しませんでした。

体力測定は自然と本気を出してしまい試験官の方々は「久しぶりに活きの良いのが来たなあ〜」と喜んでおられました。

しかし余りにも筆記試験の点数が基準に満たない為まさかの追試を受けてくれと言われました。

追試⁉

そんなんあんの

焦りました。

後日追試を受けに駐屯地に赴き、再度まともに回答せず試験を終わらし採点を待っていると ちょっと偉い方々と面接するとなりました。

「やる気があればこの点数でも入れてやる、ただこんな問題が分からないのに今までどうやって学校生活してきたんや?」と言われました。

切腹覚悟で観念しました。


「決意の無いまま進路が決まらなかったので来てしまいました。どうか許してください」

「そうか、わかった。はじめからそう言いなさい。社会は厳しいぞ。がんばれよ」と駐屯地を後にしました。

高校の担任には残念ながら努力の末に不合格だった事を報告し卒業間近の有耶無耶で無事にフリーターの道を歩む事になりました。
何者でも無くなった私はぬるりと社会に出た訳です。

この仕事をしていると中高生くらいの競技している患者さん達に良く質問されます。


「先生てどこの専門学校行ったん?」とか「なんでこの仕事しようと思ったん?」「勉強大変やった?」とか進路の悩み相談を受けたり将来の仕事を意識した彼らは相談を【こんな私に】してきます。
嘘なしで上記の出来事を話しています。

相談だけならなんぼでものります。

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